授業研修
月に1回のペースで授業、コミュニケーションを中心とする研修をいくつかの顧問先で行っている。
つい最近も、ある学習塾に伺い、研修を行ってきた。対象は、20代半ばの青年たちである。20代とはいっても、彼らこそがこの学習塾の社員であり、稼ぎ頭である。
若いといっても、若干、昨日の業務の疲れをのぞかせながら、一人は私を近くの駅まで迎えに、他のスタッフは研修会の会場をセットしたり、喉を潤すお茶を用意してくれたりする。
そして、準備に携わるスタッフ全員が私を含めた参加者を生徒に見立てて、模擬授業を行うのである。研修の準備はできても授業内容の準備まで行き届かないようで、開始直前に慌てて確認している様子は、試験前の学生のようにも見える。
先生役は、アドバイスしてほしい自分の課題についてコメントしてから授業を始める。
15分ほどで授業を終え、生徒役が順番に、良かった点、改善点をコメントする。この塾のすばらしさは、このコメントにある。言いやすいことも、言いにくいことも、いい意味で遠慮せず、感じたことを率直に伝えるところにある。これが、すがすがしいのだ。コメントを受ける教師役の態度も大変素直だ。
最後が私のコメントの番だが、大抵皆の言ったことをまとめるくらいで、
決め台詞は、「もう一度あとでやってみよう。」だ。そして、あとで10分ほどの時間をとって、参加者のコメントを生かした授業運営や構成を再度考えるのだ。そして、たった10分で彼らの授業は先ほどの何十倍も良くなるのだ。
何が彼らを変えたのか。それは、彼らの当事者意識に他ならないだろう。
大きな学習塾になると研修者と被研修者が色分けされていたりする。研修者が研修の準備をし、研修で腕を上げなければならない先生が受け身で参加する構造があったりする。研修者がどんなにすばらしい内容を研修しようと、被研修者にとっては義務でしかないのだ。
研修が義務になったところで、研修の効果は極端に下がる。実施することが逆効果になったりするのだ。
手弁当で研修に臨む若い彼らを、私たちは可能な限りサポートして、大手の塾に負けない授業を提供できる学習塾に成長することを見守りたいと思った一日だった。
胃上食堂

