寺山 修司
「わかれ道」を通るためには、人は誰でも選ばねばならない。
◇「わかれ道」を通るためには、誰でもがどちらかの道を選択する。そ
れは至極当たり前のことだ。しかし、人生における「わかれ道」を私た
ちは意識的に選択しているかと言えば、それはそうとはなかなか言い難
い。
◇なぜならば人生における「わかれ道」は、簡単にはそれとは分からな
いからだ。いや、生きている限り、わたしたちの前にあるのはいつも
「わかれ道」なのかもしれないからだ。
◇生きていれば、大きな人生の岐路に立つことは何回かある。そういう
大きな「わかれ道」ならば、意識するしないに関わらず私たちは比較的
慎重に選択するだろうが、実は、その大きな「わかれ道」を用意してい
るのは、日常の何回にも及ぶ小さな「わかれ道」なのだ。その積み重ね
が大きな「わかれ道」を作っているのだ。
◇そして、実は大きな「わかれ道」の時の選択は慎重に行っても、常日
頃している日常の小さな「わかれ道」の選択は習慣的に行っていること
が多い。私たちは気がつく気がつかないに関わりなく、小さな「わかれ
道」に差し掛かっては、小さな決断をして道を選択しているのだ。その
積み重ねが私たちを形成していると言える。
◇だから、ここ一番の大きな「わかれ道」に際して、大きな選択を成功
させたかったら、日常の小さな「わかれ道」に際しても、注意深い選択
が必要なのだ。このことを私たちは自覚したい。何気ない日常が私たち
の主戦場なのだから。
合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ
代表 中土井 鉄信

