「激励」(前編)
もう10年も前だ。学習塾で働いて、初めて受験に臨んだ。もちろん、
試験を受けるのは生徒だが、同じように僕も緊張した。
2月1日。東京・神奈川の私立中学入試の初日。早朝、僕はY学院へ向
かった。この学校を受験する生徒の激励のためだ。
生徒、といってもその数わずか1名。僕は勇斗に会って一言声をかけて
やらねばならない。彼が、入試直前に僕に声をかけてほしいかどうかは
分からない。むしろ迷惑かもしれない。
しかし、僕はそうしなければならない使命感に燃えていた。
いま一つ煮え切らないというか、しゃきっとしてないというか、どうに
も頼りない男の子。勇斗の普段の様子である。
宿題は中途半端。ノートに書く文字は雑。もにょもにょとしゃべる。授
業中、調子に乗って先生に怒られる。そうこうしながら、なんとか入試
にまでこぎつけたという感じだ。
随分早く着いてしまった。「入学試験会場」という看板を設置している
最中だ。僕のほかに、塾関係者とおぼしき人間は全くいない。
寒い。微風にもかかわらず、ちょっとの刺激で全身に冷気が走る。コ
ートのポケットに手を突っ込み、体を左右に小刻みに振った。
30分ぐらい経っただろうか。
ちらほらっと人が集まってきた。腕章をした人、旗を持っている人、
垂れ幕を持っている人、明らかに学習塾の人たちだ。
知った顔がやってきた。他の教室のA先生だ。挨拶を交わした。「寒
いね」、「寒いですね」というのがお決まり文句が二人の口から漏れる。
「A先生の教室の生徒は、今日は何人受けるんですか?」
「5人だね。荒木先生っとこは?」
「今日は1人です」
「1人かぁ。それは逃せないねぇ。激励は初めてでしょ。もうすぐ
受験生がドバーッと来るから、よく見てないとダメだよ」
A先生の言葉に緊張が増す。無事、勇斗に会えるのだろうか。
○次回へ続く。(登場する生徒名は全て仮名です。)
合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ
荒木 崇(チーフ・コンサルタント)

