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« 「激励」(後編) || バーナード・ショウ »

共通語

パリで暮らしていたときのこと、
あちらの言語学者に頼まれて東京弁の検体になった。

私以外に、大阪弁、津軽弁、鹿児島弁の本物の話し手が集まった。

同じ文章をそれぞれの方言で表現を試みたわけだが、
それは愕然とする体験だった。

私にも大阪弁はまあまあ理解できた。

しかし、鹿児島弁と津軽弁は、懸命に聞き分けようとしたのだが、
恐ろしいことにまったく理解できなかった。

日本の真ん中あたりの東京の人間にさえわからないのだから、
さらに離れた津軽と鹿児島の二人が話し合っても、
お互いになにがなんだかまったく理解しあえなかった。

明治政府が、標準語を導入したことは快挙だが、
そうしなければどうにもならない現実があったわけなんだなと
納得できたしだいである。


となると、会話体で話し合ったとして、
西郷どんの話を坂本竜馬はどれくらいはっきりと理解できたのだろうかという疑問がわく。

が、江戸城内で津軽藩主と鹿児島藩主はちゃんと話が通じていたのであろうから、
侍世界ではすでに共通の会話体が存在していたことになる。


しかし、赤穂の城主浅野内匠守が勅使饗応役高家・吉良上野介のくそ細かい形式的で煩雑極まりない注文のどれほどをしっかりと理解できたのか、
本当はかなりちんぷんかんぷんではなかったのか十分にいぶかることもできそうだ。


忠臣蔵の根底には、浅野と吉良の二人の性格的な問題とともに、
コミュニケーションの問題があったことは確からしい。


ヨーロッパの世界でラテン語が共通語であったように、日本にも、
日本の古典にあるような古共通語が存在していたことになる。


しかしそれは、おそらく庶民にはちんぷんかんぷんの言語であったはずである。
ということは、自分の治める藩の百姓たちの言い分が直接聞き届けられる領主など
いなかったということになる。

寺子屋にさえ通えなかった農民階級の多くは方言以外を理解できず、
そうした人々の思いは、庄屋とか学問のある人間によって翻訳されて
初めて権力者に理解できるものになりえたのだろう。

言語は人間支配の強力なツールでもあり、平和を守る強力なツールでもある、両刃の剣ということだろう。


担当:関口

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