昔は当たり前の生徒指導が、今はこんな形になってしまうとは!
【記事】規律厳守の生徒指導、違反たまると退学も 高校で試み
朝日新聞(2007年1/14)より以下抜粋
『規律を厳しく守らせる「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)とい
う米国の生徒指導法が全国の高校に広がり始めている。違反が一定回
数に達すると出席停止などの罰を定め、必ず守らせる「ぶれない指導」
が特徴だ。厳しい指導が日本の教育風土にどこまでなじむのか。現場
を訪ねた。
○静岡県立御殿場高校(生徒数約620人)では毎朝、教師が校門に
立って、生徒の服装を点検している。違反を見つけると、チケットを
渡して注意する。この枚数に応じて、段階的な指導をする。8枚たま
ると、3日間の謹慎だ。
○化粧を見つかり、チケットを渡された1年生の女子は「むかつく。
すっぴんなんて小学生までだよ」と怒った。一方、「縛られてる感じ
はするけど、確かに雰囲気が落ち着いてきた」と話す2年生の女子も
いた。
○05年9月に始めるまで、学校には、生徒の服装やマナーについて
の悪評が地域住民からも頻繁に寄せられていた。パソコンを使った情
報教育に力を入れる同校の生徒の多くは、卒業と同時に地元で就職す
る。地域の評判は重視せざるを得なかった。
○チケット制を始めた当初、「うちの子だけなぜ」「どうしてこの学
校だけこんなに厳しくするんだ」といった苦情が保護者から相次いだ。
教師からも「言い返されたときに厳しくしきれるかどうか・・・」と
いう不安があがった。そこで、保護者とは徹底的に話し合うこと、2
人1組で指導することを申し合わせた。
○チケット制の対象は服装や化粧など外見だけだ。ところが、指導を
繰り返すうちに、遅刻や欠席も減ってきた。前年度比で、欠席者数が
延べ約200人減った月もあった。植松悟校長は「教師がはっきり指
導でき、自信を持てるようになった。学校がまったく違う雰囲気にな
った」という。
○岡山市の私立岡山学芸館高校は01年から始めた。自転車の二人乗
りはレベル2、喫煙はレベル3、教師への暴言はレベル5などと規律
違反を5段階に分けた。レベル5は一度でもやれば、無期謹慎か退学
処分となる。 謹慎者は特別教室で自習する。カウンセリングで反省
を促し、教室に戻れるよう指導する。全校約1100人のうち、導入
前の98年度に年間90人いた退学者は、05年度は9人と10分の
1に減った。同校の取り組みは全国からも注目を集め、昨年12月だ
けで11校が視察に来た。
○子どもによる凶悪事件の多発を受け、文部科学省は05年からゼロ
トレランス方式を調査し、昨年5月に報告書をまとめた。場合によっ
ては出席停止も認める内容だ。森嶋昭伸・生徒指導調査官は「社会の
厳罰化が進んでいるのだから、学校でもそれを実感させなければなら
ない」と話す。
○しかし、厳しい指導は万能ではない。鹿児島県霧島市の県立牧園高
校は、3年間続けたゼロトレランス方式を昨年3月でやめた。
○交通違反の点数のように、問題行動を重ねると罰則が重くなり、1
0点分繰り返すと退学にする仕組みだ。暴力や教室を出て歩き回る生
徒はいなくなった。一方、点数がたまれば、最後の違反が比較的軽い
遅刻でも退学となることには教師の間で賛否が分かれた。だが、「決
めたルールは守る」と退学処分にした生徒が何人か出た。
○「もう少しチャンスを与えても良かったのでは」と、揺れる気持ち
が教師たちに生まれた。庵之下武志・生徒指導主任(34)は「我々
は警察ではない。子どもを育てる現場で、機械的な対応で良いのか」
と振り返る。
○新たに指導内容を細かく定めた。謹慎中は、登校して読書をさせた
り、毎日書かせた反省日誌を保護者と見ながら話し合ったり。どうす
れば立ち直れるかを重視するようになった。
○<ゼロトレランス> 米国で90年代後半に広がった生徒指導の方
法。直訳すると「寛容度ゼロ」だが、「毅然(きぜん)とした対応」
などとも訳される。学校での銃乱射事件などを背景に、クリントン大
統領が97年に導入を呼びかけて、法制化する州が相次いだ。重大な
違反者には、放校処分やオルタナティブスクール(他の特別な教育施
設)への転校も定めている。』
*私からのコメント
◇この記事を読んで、二つのことを思った。一つは、昔の生徒指導の
厳しさが徐々に復活してきたのかなということと、こんな機械的なこ
とをしなければ、生徒指導が出来ないような先生と生徒の人間関係っ
ていうのは、何なんだろうという思いだ。
◇毅然とした態度を先生が生徒にとることは、当然のことだ。先生の
その姿勢を保障するために、教職員が一致団結して、教職員の行動ル
ールを決めるのは、何も批判することではないが、記事の中にある「
ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)は、いかにも機械的で、サッカ
ーの審判のようにイエローカードを提示し、反則切符を切って、生徒
に自分の反則回数を意識させるだけのもののように思えて仕方がない。
先生が主体的に生徒の問題状況と向き合っているのかどうなのか、こ
の記事からは見えない。先生が第三者のように反則切符を切る警察官
のようだ。
◇こんな点数制にしなくても、「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)
の指導は、出来るのではないだろうか。昔のように、先生が身体を張
って生徒と向かい合うことが、人生を教える上で、非常に大切なので
はないか。ルールだから、反則なんだ!と宣告されても、生徒が納得
しない限り、何の役にも立たないように思う。
◇学校生活上の規律が保たれるだけで、生徒が社会に出てからどうな
るのか、考えていないように思うのだが、どうだろうか。誰のために、
規律を教えるのか、この問いをもう一度考えてみることだ。子どもが
一人前になるために、社会の規律を教え、その規律を守らなかった際
の罰についても教えるのが、教育というものなのではないだろうか。
学校を維持するために、ただ生徒を脅かしても仕方がないように思う。
合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ
代表 中土井 鉄信

