真核ディプロイド多細胞生物
60年も世間を歩いてくると、出会ったり付き合ったりした
ヒトの数もそこそこの数になる。アジアでもアフリカで中近東でも、
よいヒトにもひどいヒトにも出会った。
しかし、私の場合は、悪党にぶち当たったことは数えるほどしか
なかった。むろん、私が鈍くて、相手の本性をとらえられなかった場合も
あっただろうし、本性が出る前にサヨナラをした場合もあるだろうが。
これが動物たちになると、友情を交わした動物の場合には、つまり、
一つ屋根の下でともに暮らしたカメ、ハト、ウナギ、ハムスター、小鳥たち、
イヌ、ネコ・・・・・については、悪党は皆無だったといえる。みな、自然の
摂理に従い、身の丈にあった生き方をし、私を信頼しきって天寿を全うしている。
私の場合には、動物や植物を観察していると、この生命界には偉大な法則がある
ことを感得する。
動物には心がないとかいう人々が世界には多いが、哺乳類に属する動物たち
には、喜怒哀楽があることを私は知っており感じている。この喜怒哀楽は、
サルやらイヌといった仲間同士の間で感知しあえることはもちろんのこと、
異種であるわれわれヒトにも確実に伝わってくる。
それは当然のことで、遺伝子の研究によって、われわれ人類と真核ディプロイ
ド多細胞生物とは、というか、ヒトは、真核ディプロイド多細胞生物の最高度
の発展系でしかないないことがわかってきている。動物に比べて雑念の多いヒ
トをある日突然神様が創ったという話には疑問があったが、その疑問が解消さ
れたように感じられる。
そこで問題は、今のヒトの発展形態はどんなものだろうかということだ。
ネアンデルタール人と現代人がある時期共存していたという話だが、いずれ
現代人と新人類が将来のある時期共存し、われわれ現代人は絶滅していくこ
とだろう。つまり、現生人類も生物進化の過程のひとつに過ぎず、後から生
まれる新人類に取って代わられるか、よくても、相当程度に能力の高い新人
類に奉仕する家畜のような存在にならざるを得ないということだ。
ただひとつの希望は、新人類と交わってもらうことだろうが、馬鹿な現代人
類は、よほどだめな新人類でなければ相手にしてもらえまい。もっとも、こ
れが現実になるのは数万年後のことだろうから、現生人類はまだしばらくは
えらそうにしていられる。
担当:関口

