斎藤 茂吉
ひとごとは冷めたくとも済む。自分に対する考は炎を潜(くぐ)った
鉄のようにあらねばならぬ。
◇4月の初めに京都のバーに寄った。大垣のバーのマスターの紹介で、
京都に行ったら寄ってみるといいというバーを紹介されたのだ。
◇そのバーのマスターは、物凄く面白いパーソナリティーの持ち主で、
瞬く間に友達になってしまったのだが、その彼を一言で言うと「熱い
!人」とでも言おうか、彼の所作全てが熱く、激しいものだった。
◇彼と話をしていると、どんなことでも自分事なのだ。日本の歴史の
ことでも、外国人の考え方と日本人の考え方の違いを話している時も、
歌舞伎の話をしている時も、そして、歌舞伎役者の顔つきを真似して
いる時も、全てにわたって、自分のこととして熱く語るのだ。
◇そんな彼の姿勢に、彼の現実に対する行動力が現れていると私は、
感じ入って、この人は、語ることと行動することが、多分一緒なのだ
な!と思った。
◇何事も他人事として考える人もいれば、彼のように自分事として全
てのことを捉えて、行動する人もいる。今日の言霊ではないが、自分
が考えることに自分自身が熱くなれない人は、多分行動する時も他人
事のように行動して、何も自分自身の存在を残さないかもしれない。
それでは、生きている甲斐がないではないか。
◇私たちは、自分の人生を歩んでいるのだから、自分の人生上に現れ
た全てのことは、自分のことなのだ。熱い思いで、全てのことを受け
入れ、全てのことを吐き出していこう。自分の思いを隠さなくて良い
のではないだろうか。
合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ
代表 中土井 鉄信

