亀井 勝一郎
「明日は」「明日は」と言いながら、
今日という「一日」をむだにすごしたら、
その人は「明日」もまた空しくすごすにちがいありません。
◇私たちは、偶然の出来事を必然だと思うことが多々ある。今日という
一日が迎えられたのは、偶然なのに、それを必然だと思ってしまって、
明日も必ず来るものだと勘違いする。
◇今日の夜、私たちが眠りについたら、明日が来るのか来ないのか全く
分からないのが、私たちの生きている世界なのだ。それなのに、私たち
は、明日は必ずくるものだと思って、今日という確実な時間を無駄にし
てしまうのだ。
◇だからといって、今日という一日をどう過ごすかは、偶然のこと以上
に、必然のことのほうが大きいことは、誤解してはいけない。今日とい
う確実な時間の使い方の集積が、私たちの人生の必然を作る。
◇だから、今日という一日が来ることは偶然の産物だが、今日という一
日が、どういう一日になるかは、偶然性の要素以上に必然性の要素のほ
うが、圧倒的に大きい。今まで生きてきたその生き方が、今日という一
日の内容を形作るほうが、偶然の出来事以上に大きいのだ。
◇たまたま来た明日を今日という確実な時間にしていこう。今日という
一日を意識的に過ごすことで、自分の人生を必然的なものにしていこう。
自分に与えられた時間は、今まさに生きている時間以外にはないのだか
ら。
合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ
代表 中土井 鉄信

