「歌詞」(後編)
○前回のあらすじ
詩の授業で、歌詞を用いて比喩などの表現技法を教えたことがある。
比喩や体言止めなどの解説をまず行い、「これらの表現技法が使われている部分を探してみよう!」と言いながら、あらかじめ用意しておいた歌詞のコピーを配布した。
生徒の食いつきも悪くはないだろうと思ったのだが、実際はそれほどでも
なかった。
生徒はたんたんと線を引く。目を輝かせて、というわけではない。
「やはり、彼らには古かったか・・・」
用意した歌詞を見ながらふと思った。
盗んだバイクで走り出す
行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
尾崎豊さんの「15の夜」。
僕が好きだったのと、生徒たちが15になる。それだけの理由で、深い意
味はなかった。
今思えば、そういう選択の仕方からして間違っている。
上に挙げた歌詞の部分は一応、「倒置法」だが、それよりもなによりも、
生徒たちには歌詞の意味がほとんど不可能だったように思う。
なぜ、他人のバイクを盗んじゃうのか。
しかも、行き先は不明。
夜の「帳」なんて、これも古い表現だ。
最近、新聞で、最近の若者の気質について、ちょうど尾崎さんの歌詞を用
いて取り上げられていた。
確か、「反抗心」とか「大人社会への苛立ち」とか、そういった感情を若
者たちは失いつつあるといった内容だったように思う。
尾崎さんの歌の詞にあるような、「バイクを盗んで走り出す」のも「校舎
の窓ガラスを壊す」のも他人に迷惑をかける悪い行為で、まったく共感で
きないとのことだった。
そういうことではないのだが、まぁ、もっとも、おっしゃるとおりの正論
ではある。
授業後、ベテランのU先生にこの日の授業の話をした。
「試みは悪くはないとは思うけど、尾崎豊は入試や定期テストでは出題さ
れないからね」
U先生は続ける。
「尾崎をやった後に、さらに何を彼らに教えるかだね」
興味付けはそれとして、塾の授業として重要な部分が欠落していたという
ことだ。
往々にして陥りがちな「教師の自己満足」に気付くきっかけとなった尾崎
豊であった。
(登場する生徒名は全て仮名です。)
合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ
荒木 崇(チーフ・コンサルタント)

