「場面設定」(後編)
例えば英語の「受動態」の授業。これも僕は前から疑問に思っていた。
ある塾用テキストの例文がこれである。
『This computer is used by Ken.』
(このコンピューターは健によって使われています。)
「不自然でしょ、これ?」と思う。
普通の会話なら、「このコンピューター、誰が使うの?」「健だよ」だ
ろう。
受身の形なんて、日常会話に滅多に登場しないように思う。(もっとも
僕の感覚がおかしいだけなのかもしれないが。)
受動態って、やる側とやられる側の注目度の問題だと僕は考える。上
の例文で言えば、やる側は「Ken」であり、やられる側は「computer」
である。
この両者のどちらにも注目すべきことがない場合、通常は能動態を使
うはずだ。つまり、「健はこのコンピューターを使う」である。
どちらか一方に注目したい場合に、受動態を使うのではないか。
例えば、何らかの理由があって「僕がキムタクを蹴る」という事件が
あったとしよう。(もちろん、そんなことはありえないが)
翌日のスポーツ新聞の一面の見出しはどうなるか・・・・。
『荒木がキムタクを蹴る!』
では、ない。絶対に。なぜなら、荒木は全く無名の、どこの馬の骨だ
か分からない素人。一方、キクタクは誰もが知る、国民的大スター。
よって、見出しはこうなる。
『キムタク、蹴られる!』
である。注目度合いの高いほうが主語になる。この「蹴られる」は受
動態(受身)である。
反対に、僕がキムタクに蹴られても、見出しは、『キムタク、一般人
を蹴る!」であり、『荒木、蹴られる!』とはならない。
『This computer is used by Ken.』が不自然だと感じるのがお分か
りいただけるだろうか。
もちろん、この例文は「受動態の仕組み」として、きっちりと教え
なければならない。
しかし、ただ教えるのと、「受動態とはどういうものか」という思
想なり考えなりがあって教えるのとでは、生徒に与える「知的好奇
心」が異なるのではないか。
『This computer is used by Ken.』を教えるのなら、やはり、こ
れを用いてもおかしくないような場面設定が必要なのだ。
M先生には悪かったが、僕がちょっと口をはさんだ。
「麻美、例えばね、君が欲しい服があるとするだろ。でも、欲しい
んだけどお金がない。で、お母さんにおねだりをするじゃん。
『ねぇねぇ、お母さん、服が欲しいんだけど、お小遣いもらえる?』
で、お母さんが答えるよな。
『分かったわ。じゃぁ、あなた、いくら必要なの?』
ってこんな感じで使うんじゃないかな。分かる?」
「あぁ、そうか」と麻美。とりあえず、その後の英文解説はスムース
に運んでいた。
(登場する生徒名は全て仮名です。)

