山本 周五郎
たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、人間と生まれてきて、
生きたことが、自分にとってむだでなかった、世の中のためにも少しは
役だち、意義があった、そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題
だと思います。
◇私は、20代の時から、死の自覚をある程度もって生きてきた。有限
な存在として自分があることを自覚して生きてきた。だから、死ぬ時に
「これでよし!」と思って生を全うしようと生きてきた。だから、死に
対する準備をしてきたと思っていたのだが、最近、まだまだだと思うよ
うになった。
◇それは、「これでよし!」の内容が、どんどん変わっていることに気
がついたからだ。20代の時の「これでよし!」は、思う存分自分が自
由に生きてきて、もう思い残すことがない人生だという思いだった。
◇30代では、それに加えて、会社なり自分の属するところで、何かを
成し遂げて、伝説にでもなっていれば面白いなという思いだった。40
代前半では、社会のために何か貢献したいという思いだった。そして、
40代の半ばを過ぎて思うのは、社会のために、誰かのために、貢献で
きることは当たり前のことで、まだ自分で気がついていない自分に与え
られた天命を全うしたいと思うようになった。
◇後悔しない生き方を求めて生きてきたが、その後悔する内容が、どん
どん変化して、社会性を帯びてきた。出来ない夢は語るまいと思って生
きてきたが、なぜか最近、できない夢でも語って、次世代に引き継いで
もらいたいと勝手気ままに思うようになった。それも、自分の夢に社会
性が出てきたからだ。
◇自分の寿命を意識してここまで来たが、もう自分が生きてきた年以上
には生きられない年になると、今まで以上に命一杯生きていこうという
気持ちになる。皆さんはどうだろうか。

