亀井 勝一郎
人は後姿について全く無意識だ。そして何気なくそこに全自己を
あらわすものだ。後姿は悲しいものである。
◇私は、この言霊が好きだ。この言霊を読んでいると、種田山頭火の後
姿を思い浮かべてしまう。私たちは、他人に自分の人生を見せて喜んで
もらうために生きているわけではないから、誰に見られても別段なんで
もないが、それでも誰かに自分の人生を知っていてもらいたいと密かに
思っているところがある。
◇少なくても自分の周りの人には、自分の人生を知ってもらって、たま
には、語り合ってもらいたいと思っている。
◇そんな時、自分のどこを見られるのかと言えば、自分の後姿だ。この
後姿に、望むと望まないとに関わらず自分の生き様がなんとはなしに出
てしまうものだ。
◇きっと、種田山頭火の後姿は、物凄く寂しく悲しく、それでいてどこ
か芯があるものだったろう。種田山頭火には、本当に後姿が似つかわし
い。
◇後姿には、私たちの意識が及ばないところがある。自分自身ではどう
しても見れないものだからだ。そんな後姿に、今までの人生がにじみ出
たとしても不思議なことはない。
◇だからこそ、私たちは、後姿で人生を語れるようになりたいものだ。
誰に語るでもない人生を後姿に語らせようではないか。それが出来る人
生を送ろうではないか。
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◇◇◇Global Thinking and Local Acting◇◇◇
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