「アナログ」(後編)
○前回のあらすじ
横浜駅でJR東海道線に乗った。僕の隣に腰掛けた青年が英語の問題集を
解き始めた。
塾も予備校もないド田舎の高校で、それでも、大学入試へ向けて勉強しな
ければならなかった。どうしても東京の大学に行きたかった。
もちろん、携帯電話もなけりゃ、インターネットなんて、夢のような話。
「ポケベルが鳴らなくて」なんて歌が流行るのは、それから数年後。そん
な時代の大学受験。
「辞書が、ずいぶんきれいですねぇ。ちゃんと勉強しとる?」と担任の先
生が、僕の英和辞典を手に取り、笑いながら話しかけてきたことがあった。
他のみんなの辞典は、それこそ、何百、何千回とめくられているため、黒
ずみ、ボロボロになっている。一度引いた単語には線を引く。余白に書き
込みをする。付箋をつける。みんなそれぞれ工夫して勉強していた。
そういえば、勉強のできるヤツは、辞書を引くのもめちゃくちゃ早かった。
辞書を親指でパラパラッと弾いて、ハイ、発見。そんなカンジ。
一度、何の気なしに、彼の辞書を借りて単語を調べたことがあったが、辞
書の中のあちこちにある、ものすごい量の「積み重ね」を見て、その辞書
に触れるのすら畏れ多くなってしまった。
「あっ、いえ、先生、最近買い換えたんです」。担任の先生に答える高3の
僕。大学受験に向けて、心を入れ替えて勉強しようと思い、新しい辞書を
購入したのだ。きれいなのは当たり前。もっとも、以前の辞書も相当きれ
いなままではあったが。
電車で僕の隣に座る青年が(2)の問題を始める。単語の並び替えを開始
したところで、シャーペンを問題集の間に置き、床のバッグをもぞもぞと
探り、そうしてあるものを取り出した。
電子辞書。
横幅は15センチ、奥行き10センチ、厚さ1センチ。だいたいそのくら
いの大きさだ。普通の辞書に比べると、かなりコンパクトで軽そうだ。青
年は、それを慣れた手つきで操り、問題集の英単語の意味を調べる。
そうか、と思う。携帯電話にインターネットが日常の風景であるこの時代
の受験生は、パラパラめくることなく単語を調べるのだ。
みんなそうなのだろうか。
線引きも余白への書き込みも付箋もできない電子辞書。勉強のできるヤツ
もできないヤツも同じ速さで単語を見つける電子辞書。
僕の憶測と確信。アナログ辞書で勉強したほうが、英語ができるようにな
るんじゃないか。勉強って、ある種、「便利さ」とか「快適さ」とか、そ
ういうものとはかけ離れたところに位置するのではないか。
もちろん、苦労したからいいというわけではない。苦労することが目的で
はない。しかし、汗かくところは、きっちり汗をかいたほうがいいと思う
のだ。
もっとも、第1回のセンター試験を受けた、そんな二昔前のアナログ人間
の考えである。僕の隣の青年はどんなふうに思うだろうか。

